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インタビュー 

 

大谷哲也の現在地——

作品としての普遍性、作家としての公共性。 

 

【前編】

​聞き手 ヨリフネ・船寄真利

2019年、信楽にある大谷哲也さんの工房を訪ねた。あれから4年。コロナ禍を経て、再び工房を訪ねると、大谷さんと共に3人のお弟子さんが出迎えてくれた。

 

弟子を取ろうかと。

 

数年前にそう聞いたとき、大谷さんはどんな考えで弟子を取るのかとても気になった。何か心境の変化があったのかな、と。2023年の暮れ。大谷さんとお弟子さんの制作を拝見しながら、その真意や大谷さんが今思うことをゆっくり伺った。

 

 

文・編集:船寄洋之

写真:Maya Matsuura

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大人になれば陶芸家に

——ここ数年で大谷さんご自身で大きく変わったのは、お弟子さんを取られたことだと思うのですが、なぜそういう気持ちに傾いたんですか?

大谷:うーん、まあ、前から漆塗り職人の赤木(明登)さんもそうだし、自宅や工房を建ててくれた大工さんが弟子を取っているのを見て、なんか良いなって思っていて。でも自信がなかった。弟子になったこともない自分が弟子を扱えるんかなって。

——師匠と弟子って、学校の先生と生徒の関係とはちょっと違ってくるんですかね。

大谷:ねえ。でも分からないながらも、自分たちが伝えられることがあるんじゃないのって(妻の)桃子と話し合って決めたっていうのが理由の一つ。もう一つは、弟子を取ること自体を考える前に、ここ信楽は陶芸の町なのに子どもたちに陶芸家という職業は魅力的に見えていないんじゃないかと思ったことがきっかけかな。この近くの子どもたちに「将来、何になりたい?」って訊いても「陶芸家」と答える子は一人か二人…もしかしたらゼロかもしれない。子どもたちが小学校の社会見学で行くような(陶器の生産)工場は暗くて寒くて、あるいは暑くて埃っぽくて、おじさんたちが同じような作業を繰り返してる。そんなの見てたら、なりたいって思わないよね。

——じゃあ、どうしたら子どもたちが陶芸家になりたくなるのか。

大谷:そう。桃子と話してて「陶芸やってる大人たちがカッコよかったらなりたいと思うんじゃない?」って。わかりやすくカッコいいのが。この家とか工房に来てくれる大人たちが自分の子どもに「陶芸家ってカッコいいよ」って言ってくれるようになれば少しは興味を持つかもしれない。「なんだかいい車に乗ってるし、素敵な暮らしをして海外にもよく行ってるみたいだよ」とかでもいいし(笑)。

——(笑)。

大谷:そんなんでも全然構わない。きっかけはなんでもいいんだけど、そういうのをみんなが知らないからまず広げないとなって。僕は今の暮らしにすごく満足しているけど、それを知らずに魅力のない職業って信楽の子どもたちに思われているとしたらすごくもったいないこと。でもそれを自分からアピールするよりかは、ここに来てくれた人たちが広げてく方がいいような気がして。時間はかかるけど最終的に地元の子どもたちが「大人になったら陶芸家になるに決まってるやん!」っていうような未来にしたい。それがスタート地点だったかな。

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——最初のお弟子さんとなる伸太郎さんは現在4年目なんですよね。どんな環境で大谷さんと仕事を共にされていますか。

 

大谷伸太郎のように弟子を経た職人*に対しては最低賃金じゃなくてもうちょっといい給料を払うようにして、その代わりに責任はちゃんと持って仕事をしてもらってる。余暇に自分の作品作りをしてほしいので、労働時間は短め。働くのは月曜~金曜、9時~17時ときちんと守ってるし、夏休みは3週間、冬休みは2週間くらいはあるかな。

 

*大谷製陶所は弟子で3年過ごした後、職人として2年を過ごし、計5年で独立。

——しかも、お弟子さんの寮まで作られているんですよね。

大谷:そう。4月には出来る予定なんだけど、1階がガレージと弟子や独立した子が自由に使える制作場、2階は居住スペース。個室は寝るだけの小さな部屋だけど、共有スペースを広く取った間取りにしてるから、そこで弟子同士が交流したり、なんなら知り合いの陶芸家とかいろんな人を招いてくれていい。そこでいろんなコミュニティが生まれて意見が集まり、時にはぶつかって、何かが生まれてくれたら嬉しいなって。ガレージを解放して自分たちの作品を見てもらってもいいしね。

——自主性を促しているところが良いですね。環境を整えるから、そこをどう使うかは自分たち次第というか。でも正直、そういった弟子を取ることでの採算性って厳しいように見えるのですが…。

大谷:まあ、ここまで聞いたら自分の持ち出しばっかりに見えちゃうかもしれない。でも僕はそんなに偽善者じゃないから(笑)。経営者としても、弟子とwin-winな関係を保つことはちゃんと考えてる。採算性がないと継続性がなくなるから。よっぽどのお金持ちだったらボランティアみたいな精神だけで採算度外視でできるかもしれないけど、そういうことを僕は全く考えていない。きちんと採算性がありつつ、ある程度は社会にも地域にも還元できるし、自分たちにももちろん弟子にも還元される。そのバランスを保ちながらやる。そういうことをデザインすることも作家の仕事の一つじゃないかなって。

——ちょっと聞きたいんですけど、弟子を取ることで大谷さんにはどんな還元があるのかなって?

大谷:弟子が仕事を手伝うことで僕たちの手が空くから、その時間で新しいもの作りを考えることもできるし、弟子が独立したら彼らに僕の仕事の一部を手伝ってもらうこともできる。独立したけど食べていけない場合は彼らに仕事をお願いして、それを生活費にしてあげることもできるしね。弟子なら絶対信頼できるから。

作家は作品を発表するだけではない

——そういえば、大谷さんが前に言われてたんですけど、弟子はしんどくてなんぼとか、独立するためには苦労を味わわないと、とか、そういう意識が蔓延していてだから陶芸家になりたいと思う人がいないんじゃないかって。

 

大谷:ヒドいのもいるからね。弟子が工房で誤ってものを壊したら給料から天引きするとか。弟子がうまく出来ないのは師匠の責任だと思うから、そんな話を聞いてると、そんなことやってるからせっかく来た子たちが嫌になって出て行ってしまうんだって。その大人たちの人間としての未熟さが、せっかくやりたいと思って来てくれている子たちをダメにしてしまう。

 

——若い芽を摘んじゃうんですね。

 

大谷:そう、それがあまりにも残念すぎる。うちに来た子は独立するまでは辞めてほしくない。だから、独立しても自分の仕事をしながら最低限の生活費も確保できるようにしてあげて、ここに来たら作家になれるんだって言ってもらえるようにしたい。時間はかかるかもしれないけどそういう認識が広がれば「だから大谷さんのところに人が集まるんだ」ってなるだろうから、「あそこばっかりいい子が行ってしまわないように、うちもそうしよう」って動きがもっと増えると思う。産地全体の労働環境がよくなると信楽で学びたい若い子も増えるんじゃないかな。

 

——話を聞いていると、作家としての視野だけで物事を考えられてないような気がします。

 

大谷:そうかもしれない。最近は作家は作品を発表するだけでもないんかなって思うようになってきたからね。先輩作家の中には寂れた商店街にギャラリーを作ったり、オーベルジュで都会のお客さんをもてなしてその地域の活性化を図ったりしている人たちもいる。でも僕は根本的に人と同じことするのは嫌いだからそれはやらないけど、たぶんね(笑)。

——大谷さんらしいです(笑)。

大谷:ゴールは同じかもしれないけど僕は何か別のアプローチをしたくなる性格なんだよね。自分たちにもみんなにもプラスになることを、地域の特性に合ったことで考えたい。自分がやることで周りも少しずつ続いて行けば、過疎の問題もある信楽に若い子たちが入ってきて、子供ができて賑やかになったりとかもする。それは理想だけど僕一人の力だけじゃ困難な部分もかなりあるから、色んな働きかけも必要になってくるし、それがうまくいく可能性なんてかなり低いかもしれないけど、30年先の目標として桃子とそういう話してるところだね。

​​大谷哲也さんインタビュー

大谷哲也の現在地――

作品としての普遍性、作家としての公共性。

 

​▷【後編】​はこちら

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大谷哲也

 

1971 神戸市生まれ

1995 京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科 意匠コース卒業 

1996 滋賀県窯業技術試験場勤務(〜2008) 

        滋賀県甲賀市信楽町に大谷製陶所設立

大谷製陶所

https://www.ootanis.com

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​​大谷哲也 個展

 

2024年4月20日(土)〜24日(水)

 

会場:器とギャラリー・ヨリフネ

神奈川県横浜市神奈川区松本町3−22−2 ザ・ナカヤ101

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