
wica grocery 折原陽子さん インタビュー
帽子を通して出会ったひとりの職人
ーーその技術・人生を伝え続けたい
聞き手・文 ヨリフネ・船寄真利
旅する帽子屋、wica groceryの折原陽子さん。
毎年、麦わら帽子のシーズンになると、全国各地を駆け回る。実は彼女自身は帽子職人ではないし、デザインの勉強をしたわけでもない。扱う帽子を作っているのは埼玉県春日部市で140年にわたり麦わら帽子を作り続けている田中帽子店だ。「こんな帽子は作れないか」とイメージを共有しながら、主に会長の田中行雄さんと対話を重ね、二人三脚で帽子作りに取り組んでいる。なぜ、彼女は帽子屋になったのか。彼女の扱う帽子の魅力とは何なのか。気になって話を聞いてみた。
編集:船寄洋之
photo : 船寄真利

初期の頃の帽子。全く同じではないがその頃に近いものを出してきてもらった
衝撃の出会いは、ブランドタグ
——wica groceryの帽子は、折原さんがイメージする帽子を田中帽子店が制作するという形で作られていますよね。初期の頃のタグには「田中帽子店」と記載されていて、「あれ? wica groceryじゃないの?」と思った記憶があります。そもそも、田中帽子店との出会いはどんなきっかけで、なぜ一緒に帽子を作るようになられたのでしょうか。
折原:田中帽子店で帽子を作り始めたのは、偶然の出会いからなんです。特に帽子を探していたわけでもなかったのですが、ある日、百貨店の物産展売り場に「田中帽子店」と書かれたのぼりが目に入ってきました。麦わら帽子は私の地元・春日部の特産品で、田中帽子店のことも名前だけは知っていたのですが、当時は素朴な農作業の帽子や地元の園児用帽子をひたすら作っているようなお店という印象で、自分の生活と重なることはありませんでした。
でも、その時に何気なく帽子を手にとったんです。そうしたらね、帽子の裏のブランドタグに「田中行雄」って書かれていたんですよ。「なにこれ?」って、それが私にとってすごく衝撃的でした。インパクトが強すぎて、この方が職人さんなのか、社長さんなのか、なぜフルネームなのか……頭から離れなくなっちゃって。結局、自分用にひとつ買うことにしたんです。
——帽子が素敵で惹かれたのではなく、タグが衝撃で買ったのが始まりだったんですか。
折原:そう、タグが気になっちゃって(笑)。なんてこともない、シンプルな農作業用の帽子だったんですけど、その時の勘は当たっていて、すぐにお気に入りのアイテムになりました。当時、私は子供服のお店をしていたんですけど、都内など遠方からわざわざ来てくださる方も多く、せっかく遠くからきていただくなら、地元の素敵なものをご紹介できたらいいなと思っていて。そこで「春日部の名産品である麦わら帽子はどうだろう?」と閃きました。
——素朴な農作業用の帽子に、なぜそこまで惹かれたのでしょうか。
折原:そもそも、紹介するものはファッションアイテムとしての帽子ではなく、ファッションと道具の中間のようなものがいいなとイメージしていたんです。田中帽子店の帽子は、そのどちらともに使えそうな印象で、直感ですが「なんか、これかも!」ってピンときました。
——確かに、wica groceryの帽子は「ファッションと道具の中間」を具現化したものだと思います。エレガントすぎず素朴さが残るからこそ、ハードルが低くて被りやすい。そういったことを意識されたんでしょうか?
折原:いえ、それは後からついてきたように思います。当時、私は子供服のお店をやっている中、アパレル特有のサイクルの速さにどんどん違和感を感じるようになっていて。ずっと使えるようなものでも、シーズンが終わればセールにかけなきゃいけない。そしてまた次のシーズンのオーダーをして、セールにかけて。そんな次々とやってくる早いサイクルに疑問を感じていました。だからこそ、もっと普遍的で、サイズアウトしても飾っておきたくなるような、ずっと手元に残るようなものがいいな、と思った時に田中帽子店のことがふと頭をよぎったのだと思います。それで、「帽子を作ってもらえないか」と田中帽子店に伺った時に話を聞いてくれたのが会長でした。もう20年くらい前、2005年か2006年くらいのことですね。
——それが、田中行雄さんですね。
折原:そう、あのタグに書かれた方と、そこでやっと対面したんです。当時の田中帽子店はOEMはやっていなくて、「こういう帽子を作ってほしい」という要望を受け付けるような窓口はありませんでした。なので、本当に「直談判」といった感じでしたね。
田中帽子店に足を踏み入れた途端、その工房の様子に一気に魅了されました。100年以上続く工房の中にはたくさんの麦わらがずらっと積み重なっていて、職人がミシンでカタカタ作っている……きっと彼らにとっては何の変哲もない日常の様子なんですけど、ずっと変わらずに同じことを繰り返し続けている姿にものすごく感動したんですね。「ああ、自分がやりたいことって、こういうことなんだ」と思いました。そこで、「一生大事にしていけるものを紹介していきたい」という、今の軸が定まったように思います。「ここと一緒にものづくりができたら」と強く思って、「5個とかでもいいので、作ってもらえませんか?」と願いしたら、すごく真摯に話を聞いてくださって。「そういうのはやったことがないけど、一度作ってみるか」と言ってくれたんです。それで、大人用と、子ども用の帽子を1セット作っていただいたのが始まりです。
——前例がない中で、受け入れてくださったんですね。
折原:私は「これだ!」と思ったら、どこまででも追いかけて行って、のめり込むタイプなんです。確かその時も、田中行雄さんのタグが付いた帽子を持って熱く話していたから、もしかしたら私の勢いにのまれちゃったのかもしれないね(笑)。

工房に行けば、デザインがそこにある
——折原さんは、デザインや帽子に関する専門的な勉強などはされていないとのことですが、wica groceryの帽子はどのように作られているんでしょうか。
折原:うちの作り方はすごく変わってるってよく言われます。でも、私にとってはこのやり方しか知らないから、「普通はどうするか」が正直わからないんだけど。定番が多いこともあって、綿密な打ち合わせはしないし、デザイン画とかもないんです。作り始めた頃は、モード系のファッション雑誌などを持ち込んで、「こういうエレガントなものが欲しい」とかイメージを伝えて作ってもらっていました。
——農作業用の帽子を作っていたところに、モード雑誌ですか…?失礼ですが「出来るのかな?」と思ってしまいました。
折原:そうですよね。だけど、「これは、難しそうなデザインだね」なんて言いながら、次に伺ったときには素敵な帽子がちゃんと出来上がっているんです。長年やってきた中で、最近では「ここのニュアンスは私はこういう感じにしたいけど、あとは会長にお任せしますね」くらいのやり取りで通じ合えるようになりました。そうすると、かえってすごく面白いものができたりするの。だから、それくらいの感じで、あまり細かく打ち合わせはしません。
——それはお互いに信頼があるからこそですよね。
折原:一緒に工房に行った人からは、「テレパシーでも使ってるの?」って聞かれるくらい(笑)。でも、それくらい言いたいことが伝わるの。始めてみると会長は職人気質で、難しいデザインであればあるほど燃えるタイプだったようで、どんどん楽しんで作ってくれました。さらに難しいものをお願いしても、軽々と私の予想を超えるものを出してくるから、なぜかこっちが悔しくなっちゃって。「じゃあ、次はこれはどうだ!」って、まるで競争みたいになっていましたね(笑)。足元にも及ばないけど、良きライバルとの心地よい戦いを楽しんでいるような感覚で、私も帽子の世界にどんどんのめり込んでいきました。
——なるほど。折原さんにとっては会長の帽子作りの技術が、会長にとっては折原さんの難しいオーダーやセンスが、それぞれにとって良い刺激になったのですね。そう考えると、もし他の人だったら、ここまで帽子にどっぷりつかる生活にはなってなかったかもしれませんね。
折原:本当に、会長だったからこそだと思います。最近は帽子ブランドのデザイナーさんともお話する機会があるんですけど、バックグラウンドが違いすぎて、そういった方からも「面白いやり方だね」って興味を持ってもらえます。私はデザイナーさんのように1からデザインを起こして、どうやって帽子を作り、それをどう販売していくかなんて勉強したことがないからそれがコンプレックスではあったんですけど、かえってこのやり方だからこそ良かったのかなって思っています。
洋服や布帛の帽子と違って、麦わら帽子の世界は“木型ありき”の世界で、それも自分に合っていたんだと思います。工房に行くと、何十年も使い込んだ木型がたくさんあって、「この形にこっちの素材を当てはめたらどうだろう」とワクワクするんです。そうやって現場に行けば勝手にデザインが見えてくる。むしろ、デザインはすでにそこにあると言ってもいいくらい。私は「帽子のデザイナー」って言われることもあるんだけど、どちらかといえば無限の組み合わせの中から“wicaらしい”組み合わせを見つけていく、ディレクターのような立ち位置ですね。
——デザイナーではなく、ディレクター。確かにその表現がしっくりきました。
折原:そう。デザインはやっていないの。中には「デザイナー」とか、なんなら「作ってる人」と紹介されることもあるけど、あんまりそこの立ち位置は重要じゃなくて、できた帽子に関してどういう思いで作ってるとか、そこだけでいいのかなと思います。
——ただ目の前にある帽子を見てくれたら、それでいいって感じですかね。
折原:そうそう。それだけで充分です。

素晴らしい職人の技術を伝え続けたい
——当時、帽子はお店のセレクトの中でも一つのアイテムであって、メインではなかったんですよね。お店を閉めて、また活動を始めようと思ったときに、帽子を選ばれたのは何か理由はあったんでしょうか。
折原:そうですね、特に帽子がすごく人気アイテムだったとか、すごく好きだったとかではないんです。私自身、「帽子がないとコーディネートが完成しない」というタイプじゃないですし。
——そう言われると、余計に理由が気になります。
折原:いろいろ複合的で、「これだ!」とは一言で言えるわけではないです。ただ、会長と一緒に帽子を作る中で、何十年も帽子を作り続けてきた職人さんの後ろ姿が格好良すぎたというのが大きいです。そんな職人さんに、自分が素敵だなって思う帽子を作ってもらったんだよ、こんなにすごい職人さんがいるんだよって、たくさんの方に伝え続けていきたいと思いました。会長は職人気質で、あくまで裏方に徹するタイプの方なので、どれだけ素敵な帽子を作っても「これいいでしょ?」と自分では言わないんです。私は会長の帽子のいちばんのファンだから、代わりに私が帽子をいろんなところに連れていって、良さを伝えていける人になりたいという思いがいちばん強いですね。
——すごく共感します。私もものをセレクトしている立場で、作り手さんのいちファンだから。お客様と一緒に「これめっちゃいいですよね」って言い合える瞬間がたまらなく好きで。自分では作れないけど、好きで尊敬しているからこそ「これ、いいでしょ?」って心から言える。そのために、たくさん作り手のことや作品を知って、お客様に伝えていきたいなって思います。やってることは少し違うけど、同じ気持ちなんだなって感じました。

——お話を伺えば伺うほど、折原さんの帽子作りは会長あってこそだと感じるのですが、会長はもう92歳ですよね。失礼を承知で話すと、いつまでも元気に帽子を作り続けられるわけじゃないと思うんです。会長が引退されたらwica groceryはどうなるのでしょうか。
折原:それは、すごく考えました。会長自身も気にかけてくれていて、「自分が作らなくなってしまったらどうするんだ」なんて話もしました。でも、工房って会長と私で作っているものは例外で、会社としての窓口がきちんとあるんです。本来はそこでわかりやすくやりとりして、私と会長のような個人的な作り方はしていないんです。
——会社として、システム化されているような感じなんですね。
折原:そうですね。でも、私がその方法で帽子を作りたいかというと……やっぱり違うなと思いました。会長と一緒に作らないのなら、潔く帽子はやめてもいいやって思ってたくらいです。毎シーズン、「もしかしたら今年で最後かな」って思って作っていました。でも、会長も自分が引退した後のwica groceryをすごく心配して、一番弟子の人を紹介しようか、とか西の方へ腕を競い合った方がいるんだけど...とか、たくさん提案してくれたんです。会長のその思いに触れると「もう勝手にはやめられないな」と。私の気持ちというよりも、会長がここまで私を育ててくれたので、wica groceryを続けていくことが、会長への恩返しだと思って。なので今は製造先を増やして3カ所でお世話になっています。
とはいえ、wica groceryは帽子のブランドというより、「この人ともの作りをしたい」「何かを一緒に生み出したい」と思ったら、そこに情熱をかけて紹介していくブランドだと思っていて。だから、実はアイテム自体は何でもいいと思っているの。それで、今年から「お話会」を始めました。帽子を通じて会長から教わってきた人間性や人生とか、もっと深い部分のことが私にとっての大きな財産で、その部分を次の世代に伝えていけたらいいなと思って始めたんです。不思議な縁だなと思うんです。出会ってなかったら、こんな人生じゃなかったから。会長は、家族以上に深い縁のあった人なんだと思っています。
——もし会長が全く違うものを作る職人だったら、折原さんは今とは違うものを扱っていたかもしれませんね。
折原:本当にそう。会長は鼻歌を歌いながら、軽ーい感じで素敵なものをさらっと作っちゃうんだけど、実はものすごく高度な技術を使ってる。もう、こんな格好良い人いないでしょって思いますね。若い頃に出会っていたら、恋しちゃっていたかも(笑)。それくらい、ファンなの。

帽子はあってもなくてもいい。そこに感じた可能性
——理由は複合的だとおっしゃっていましたが、他に帽子を選んだ理由はありますか?
折原:帽子に可能性を感じていたように思います。自分が女性として生まれて、母になって、子育てがメインになってくると、つい自分を着飾ることが後回しになってきちゃう。
——わかります。鼻水とかつけられますし、汚れるから「なんでもいいや」と思いますよね。赤ちゃんのときは、そもそもお洒落しようって気力すらなかったかも。
折原:母になると自分の服はどうしても機能性を優先してしまいますよね。でも、それってすごくもったいないなって思いました。お洒落を楽しむのは何歳になってもできるし、むしろ歳を重ねた方が格好良い着こなしができる。いろんなお客様に麦わら帽子をかぶってもらったときに、それをすごく感じました。自分にぴったりの帽子を見つけたとき、みなさん目が輝いてすごく素敵な笑顔になるんです。次に来たときには、もうこなれた感じでかぶってくれていたりして。それが嬉しくって。帽子の持つ可能性みたいなものに自分がハマっていったんです。
——洋服は必ず着るけど、帽子はあってもなくてもコーディネートが完成しますよね。だからこそ、ぴったり合ったときのハマり方は、普通のカットソーやパンツとは違うというか、特別だし可能性が大きいアイテムのように思います。
折原:そう、より大きな可能性があると思います。洋服までは「なんとか綺麗にしとこう」って気を使えるんだけど、さらに帽子までとなると、ハードルが高く感じる人もいるかもしれない。でも、あってもなくてもいいものだからこそ、そこにたどり着けたとき、自分をより喜ばせてあげられる気がするんです。「自分を大事にしよう」っていう“セルフラブ”のモードに入っていくお手伝いが帽子にはできるなって。そこに可能性を感じたし、何となく、そこを求める人が増える時代になるんじゃないかなって思ったんです。
——私も、子供を産んだあと、いかに自分を後回しにしているかに気づきました。だからこそ、子どもと一緒にいるときには使いづらい繊細なアクセサリーをつけたり、日除けだけじゃないファッションアイテムとしての帽子をかぶったりすることに、時間の特別さや、自分のために使うものがどれだけ心を震わせるかということを改めて感じています。子どもがいなくても、日々の仕事など頑張りすぎてしまう人が、今の時代とても多いのかなと思っていて、セルフラブが必要な方ってたくさんいらっしゃるのではと感じます。
折原:そう、リサーチをしたわけではないんだけど、直感でそう思いました。そして、自然と帽子屋さんになって、今がある。案外間違ってなかったなって感じます。
——帽子って、人によっては敷居が高いと感じられる方もいるかと思います。実は私もそのひとりだったのですが、「ファッションと道具のちょうど真ん中のようなもの」をイメージして作られていると伺って、その程よい素朴さを残しているおかげで、あまり抵抗感なく帽子を自分のファッションに取り入れることができました。wica groceryはそんなファーストステップを踏み出しやすい帽子のように思います。同じように感じている方が手を伸ばして、自分自身を喜ばせるお手伝いが私もできたら嬉しいですね。

折原 陽子
wica grocery ディレクター
バンタンデザイン研究所にてバイイングを学び、自身のセレクトショップLamp,yuzuriを経て2015年にオリジナルブランドwica groceryをスタート。デザイン性と道具性のバランスを大切にしながら、地元の職人と共に「手直しをしながら育てていく帽子づくり」を行っている。
ブランドディレクターの顔の他、結婚・出産を経てその方らしく生きていくライフスタイルの提案や、スタイリング提案など活動の場を広げている。
Instagram : https://www.instagram.com/wicagrocery/?locale=ja_JP

wica grocery 帽子展
2025年 5月24日(土)〜 5月31日(土)
o p e n : 1 2 : 0 0 - 1 7 : 0 0
期間中休 27日(火),28日(水)
会場:器とギャラリー・ヨリフネ
神奈川県横浜市神奈川区松本町3−22−2 ザ・ナカヤ101