photo:Shinya Fukuda
山口ミスズインタビュー
ただ、織るという行為に惹かれている−−
静かに見つめる先にあるもの
聞き手・文 ヨリフネ・船寄真利
山口さんの展示は3年ぶり。前回のインタビューで山口さんは「ものが生まれるのは習慣」と話されていました。
織機に座り、織る。それが息をするように自然で、その反復動作を延々と続けている。自分から湧き上がる表現とは何か、と考えていたこともあったけど、何かの表現などではなく、自分にとってものが生まれることは習慣であり、それ以上でもそれ以下でもない。ただ、その反復する時間、その習慣に自分は支えられている、と。
また、周りに影響されてなかなか自分の作風に自信が持てなかった時に「自分が何に惹かれているのか。それを大切に制作することが大事」「作家は生ものだから時として変わっていく。その都度、自分の核を点検し続けることが作家たるもの」との言葉に感銘を受けた話もしてくれました。
今回展示をしていただくにあたり、この3年間でご自身の意識に変化はあったのか。今のお気持ちを伺ってきました。
編集:船寄洋之
photo:Shinya Fukuda
織ることが与えてくれたもの
——ヨリフネでは3年ぶりの展示になります。ご自身の制作について、その後変化などはありましたか。
山口:芯の部分は全く変わっていないですね。コロナがあったり、息子が大きくなって生活の時間配分なんかが変わってきたりと細々とした変化はありましたが、大事なところは同じままです。
以前のインタビューで「ものが生まれるのは習慣」という風に表現しましたが、引き続き、食べる、寝る、歩く、そういうもののひとつに「織る」があり、暮らしの一コマになっています。家族の中でも、例えば夜など夫と息子が私の知らない話で盛り上がっている時に、私は「じゃあ、織ってこようかな」とその場からスッといなくなるんですけど、それを夫も息子もなんとも思わない。
私の姿が見えなかったら「織ってるんじゃない?」みたいな、「織る」ことが本当に当たり前に暮らしの中にある感じです。
——生活の一部でもあるし、山口さんの一部と言っても良いように思えます。
山口:私はそもそも「織る動作が好き」なんですが、そこを突き詰めていくと「同じことを繰り返すことが好き」になるんだと思います。より、そのことが明確になっていると思います。
ここ数年でも何カ所か展示をさせていただいたんですが、その中でも何か新しい物を作りたいとか表現したいというよりは、暮らしの中で日々同じ動作でコツコツ積み上げていく、「織る」ということ自体が好きなんだなって感じました。昔から勉強とか一夜漬けができなくて、地道にコツコツやっていくタイプなんです。織り物は反復作業が非常に多いものなので、とても私らしいなと思います。「織る」ということが自分にとってどんどん当たり前になっている。
また最近は、織ることが自分の存在意義にも繋がっていると思うようになりました。
——存在意義、ですか?
山口:そう。それは子供の成長とも関係しているかもしれないですね。息子が成長して、外の世界を着実に広げています。そして夫は職場という彼自身の居場所を確保している。二人が長い時間をかけて自分の居場所をしっかりと作っている中、もし私に織ることがなかったら、自分にはそんな場所ないなって思ってしまっていたと思うんです。
今ありがたいことに私も自分の作ったものを世に出し、それを誰かが手にとってくれている。それは本当に嬉しいことだと思います。社会や家族の中に、なにかしら自分の役割があって、それを認めてもらうことが喜びや存在意義を感じることにつながると思うんですけど、それを私は織ることで感じています。
人に認めてもらうって素直に嬉しいことですよね。私は織ることによって自信をつけてもらっているんです。自分の中に「織る」という世界が出来たから、今がある。そう思うようになりました。
「織ることが好き」を素直に形へ
——今回は、前回ヨリフネでの展示にはなかった「大きな布」というアイテムが加わっています。山口さんからは「色々作った時期もあったけど、自分が欲しいと思わないなとか、使わないと思って削ぎ落としていった結果ストールだけを作るに至った」と伺っていたので、新しいアイテムが加わったことはとても興味深く感じました。何かきっかけがあったのでしょうか。
山口:以前、二人展の予定が急遽私だけの展示になって、結構広めのスペースで個展をすることになったんです。その時に、せっかくなら新作を作りたいなとか、空間に合わせてラインナップを変えてみたいと思ったことがきっかけです。とはいえ、私は織ること自体が好きだから織れればそれでよくって、「こういうものを作ってみたい」とか「こういうことを布で表現したい」っていうのがないんです。だったら「織ることが好き」ということを素直に形にしたら良いんじゃないかなってことで出来たのが、この大きな布です。制作時はより長い時間をかけて織っていられるし、織ることに惹かれている自分の思いを率直に形にするのであれば、これだなって思いました。
——じっくりと自分の芯を見つめた結果、この「大きな布」ができたと。
山口:そうなんです。ただ、自分のやっていることをそのまま形にしただけなので、その大きな布がどう使われていくかまでは正直、考えていませんでした。でもその展示でお店の方が、大きい布をお店の空間を仕切るように広げてディスプレイしてくださって、とても素敵だったんです。こういう風にも使ってもらえるんだってジーンとしました。また、そこにいらっしゃったお客様がそれを纏ってくださったんですね。この布に包まれていた姿が、それがコートというかポンチョかな、すごく可愛かったです。
私が思いもよらない素敵な使い方をしてくださることが嬉しくて、それが私にとってすごく良い経験でした。そこから大きな布をカテゴリーに入れて作るようになりました。
——織る時間が好きというその延長線上に出来たというお話から、山口さんの核が変わっていないことが分かりますね。人によって用途が違う大きな布は、使う度に発見があってそれがまた魅力なのかなって思います。
山口:名前も「大きな布」ですからね。何に使うのも自由です。
——山口さんは以前に「使い手の世界に大きく足を踏み入れたいとは思わない」と話されていました。「牧場に羊がいて、糸を紡績する人がいて、布を織る私がいる。それをお店に並べてくれる方がいて、その先に使い手がいる。私は長い流れの一部にいるという感覚が強い。それぞれに物語があって、自分の発するものが全てではないと感じている」と。だから、この大きな布ってシンプルなようでいて、すごく山口さんらしさが濃縮された奥深いものだと思います。
山口:それはエゴ、とも言えるかもしれないですけどね。
——エゴですか?
山口:織る時間や動作自体が好きだっていうことは、結局自分がやりたいからやっていることであって、誰かのためにとか、何かの問題を解決するものとかではない。それを突き詰めるとただのエゴだなって思ったんです。
私はそれを正直に出せる場があって、作ったものを置かせてくださいって言ってくれる方がいて、そして買ってくださる方がいて。本当に奇跡だなって思います。もしこれがなかったら、私のそういった思いは自分の中だけで消化しきれずに渦巻いているだけだったかもしれない。作家として織れるということは、とてもありがたいことだなって感じています。
——なるほど。エゴという表現は強くてどきっとしましたが、自我にもつながる大事な感情で誰しもが持っているものですよね。山口さんの冷静にご自身を見つめる姿勢や、織ることに対する強い思いなどがこの一言に現れているように思います。山口さん、冷静なご様子から見過ごしそうになるんですけど、淡々と話される一方でしっかりした自分の思いや、強さをお持ちですよね。
山口:頑固なんです。その辺の私の性格は夫もよくわかっていて「僕が何を言っても、決めたらどうせやるんでしょ」って言われます(笑)。
——さすが夫婦(笑)。山口さんは制作について、湧き上がるものとかパッションとかはなく、習慣だ、と言われていますが、話を聞いていて織ることに対して海のような深い愛情を感じました。ぱっと見は凪(な)いでいて見えないんだけど、その下では大きく強い海流がぶつかり合っている…そんな光景が思い浮かびます。そんな山口さんの手から生まれるものを再びご紹介させていただけることを嬉しく楽しみにしています。今日はお話ありがとうございました。
photo:Shinya Fukuda
山口ミスズ
1974 埼玉県生まれ
大学卒業後、精神保健福祉士として働く
2005 退職後、染織を始める
https://www.instagram.com/yamaguchi_misuzu/?hl=ja
山口ミスズ 個展
2024年 1月12日(金)〜 1月20日(土)
12:00-17:00
会期中休 : 1月16日(火),17日(水)
会場:器とギャラリー・ヨリフネ
神奈川県横浜市神奈川区松本町3−22−2 ザ・ナカヤ101